医師や科学者の「トンデモ」は「良いトンデモ」と思いこむ「カルト否定派」の論理

   2015/03/02

科学者のトンデモ
医師や科学者の「トンデモ」は「良いトンデモ」と思いこむ「カルト否定派」の論理というタイトルはいささか刺激的すぎたか。いきなり結論から述べるが、医師や科学者であろうが健康食品業者であろうが、間違いは間違いである。間違いにいいも悪いもない。

こんな当たり前のことが、疑似科学批判をしているつもりになっている人々の間では、すっかり抜け落ちている。

たとえば、健康食品や民間療法については、事実でないことをでっちあげてでも否定することが称賛され、一方でそれを批判する医師や科学者に対する批判はタブーになっているかのようである。

しかし、独断的な否定もナイーブな信奉も合理的な立場ではないと筆者は考える。

つまり、それは疑似科学と軌を一にする立場である。

なぜ、そのような歪んでいることがわかりきっている論陣が批判の「基本スタンス」になっているのか。

マニアが自己満足でやっているのをいちいち妨害するつもりはないが、たとえば、医学・医療の問題などは、ヒトの命・健康に直結する。

マニアの知識自慢が目的化するような「論争」で完結されては困るのだ。

抽象的な話ではわかりにくいかもしれないので、今後、間違った批判を行っている科学者や医師については、実名をあげて具体的にこのメルマガで指摘していこうと思う。

筆者はもともと、オカルト・疑似科学論争を「くだらないもの」と思っていた。もちろん、オカルト・疑似科学の社会的影響を「くだらない」と思っているのではない。それらを論じる「肯定派」vs「否定派」のチイチイパッパがくだらないと思っていたのだ。

なぜか。それが広い意味の真実へ肉薄するものではなく、もっぱら「肯定派」と「否定派」が、お互いの知識自慢やさまざまな利権、思惑の中で「対立」するディベートゲームに過ぎないことが多いからだ。

その後、筆者は安斎育郎氏、寿岳潤氏に請われて、ジャパンスケプティクスという疑似科学批判を建前とするグループの役員になった。

そこで9年間、「科学的・批判的」と称する会としての主張や活動を見てきたが、某物理学者の心得違いが気になって気になって仕方なかった。

その物理学者は、ある社会現象や識者らの主張を例に取り、文系だからこういう間違いをする、理系の自分はそうではない、というスタンスのエッセイを機関誌に繰り返し書き連ねた。

また、自分にとっての「敵」と「仲間」を設定しているようで、善意の批判であっても、自分の「仲間」に対するものにはおよそ科学的とはいえない中傷めいた「批判」を行ったり、「敵」に対しては前述のような物理学帝国主義による「間違いの指摘」を行ったりした。

しかし、それにはみっつの問題があった。

ひとつは、その物理学者が突っ込んでいるところが本当に「間違い」かどうか怪しいこと、

次に理系であれば疑似科学問題は解決といわんばかりの短絡的な主張であること、

さらに議論に固定的な対立軸を設定していることなどである。

かつて、同会の記念講演でジャーナリストの江川紹子氏は、カルトにひっかかるタイプは、家庭環境や学歴で特定できないという話をしている。

役員でありながら、江川紹子氏のすぐ前の席(最前列中央)に陣取り、大きな笑い声を会場内に響かせながらデジカメによる写真撮影にも余念がなかったその物理学者は、いったい江川紹子氏の話のどこを聞いていたのだろうか。

みっつめは、「否定派」vs「肯定派」という絶対的な対立の構図があり、「否定派」が「否定派」を批判することが「間違い」であるかのようなミスリードにつながるものである。

「理系なら間違わない」論が現実的に何の説得力もないことはいまさら述べるまでもないが、こうした物理学者の主張は、「否定派」は「自派」を批判してはならず、かつその陣営は物理学者が頂上にあるとする主張であり、そのような啓蒙は、ひっきょう疑似科学問題を利用した物理学帝国主義の宣伝としかいいようがない。

そうだとすれば、もう科学とは縁もゆかりもない非合理まる出しの宗教的行為である。だが、そのような「啓蒙」からは、疑似科学問題が解決しないだけでなく、優秀な物理学者すら育たないだろう。

一方、同会の前会長だった安斎育郎氏は、その物理学者とは根本的に異なる立場をとっている。

安斎育郎氏は疑似科学を具体的に指摘したり、学ぶこと(知識)の重要さを説いたりもするが、だからといって「理系であれば」などという啓蒙は絶対にしない。

文系であろうが理系であろうが、人間はみな間違いうるものである、という前提で、ではなぜ間違うのか、間違わせる社会の構造や諸問題にはどんなものがあるか、ということをひとつひとつ枚挙して行くスタンスである。

枚挙しただけでは解決にはならないが、合理的に真実に接近するその一里塚であることは間違いないだろう。

「啓蒙」を建前とする「科学的・批判的」な会の役員にも、様々な主張がある。それらをきちんと見極め、判断・評価することも立派に「科学する」態度である。

疑似科学を批判しながら、その主張やスタンスが疑似科学ではとんだブラックジョークであり、それを何の検証もせずありがたく胸に落とす態度は、もはや「カルト」以外の何ものでもない。

付記

この記事に対して、天羽優子氏のブログでは、「バイアスがかかっている」という意見があった。

この記事は、批判の対象について特定の名前は出していないので、そんなにムキになってかばわなくてもいいのにと思うのだが、その人はたぶん、思い当たるフシがあるのだろう。

筆者はジャパンスケプティクスの副会長だったが、当時の議事録なども全部保管している。

というか、このブログで書いているのは、そんな「内部」のものでなくても、たとえば機関誌のバックナンバーに書かれた事実として示せる話が多い。

バイアスがかかっているに違いないと信じるのは勝手だが、ジャパンスケプティクスの会員であるはずの天羽優子氏がそれを止めないということは、天羽優子氏が会員でありながら機関誌を全く見ていないか、もしくは筆者に対する悪意から、そのような「反論」を書かせているのかどちらかだろう。

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