三沢光晴と疑似科学批判

   2015/04/30

三沢光晴と疑似科学批判

三沢光晴が試合中に技を受けて亡くなった。疑似科学問題と直接関係ないが、少し関係あることも書くので、三沢光晴の件について書こう。それから、報道では亡くなると「さん付け」をするが、ここでは敬称略ということで以後よろしく。

筆者は70年代、というより60年代からプロレスが好きなマニアだが、ここ最近の「頭から落とすプロレス」は、どうしても価値観的に相容れなかったのと、全日本プロレスからの去り方がフェアではなかったことから、ノアという団体の試合は生では1試合も観たことがない。

テレビでは、たまーに見ることはあったが、全日時代はやられ役で、ネックブリーカーで逃げる役どころがピッタリのチビの小川良成あたりがデカイツラしているのを見て、小川良成を重用する三沢プロレスでは興味がもてないと思った。

全日の90年代の2.9プロレスも、「がんばるなあ」と思って見てはいたが、何か違うような気はしていた。

ニコニコ動画で、技の安売りをしないジャイアント馬場とフリッツ・フォン・エリックの試合が迫力と説得力で再評価されているのをみると、筆者と同じような意見の者は少なくなさそうだ。

だから、近頃のプロレスのことはよくわからない。

したがって、今回の出来事に対するマスコミやWeb掲示板における様々な見解それ自体に対して賛成とか反対とか、合っているとか間違っているとか主張できるようなことは何もない。

ただ、個人的に教訓とか、大衆の考えとか、そういうことを気づかせる意見がいくつかあったので、それを書いておく。

>鶴田は相手の力量によってバックドロップの角度を調節していた。
>斎藤は、シロートだから、三沢のコンディションも分からずに、
>急角度で落とした。

>(斎藤は)まっとうなコーチを受けないまま何年もキャリアを重ねてハンパな危険技を
>覚えて調子に乗った結果がこれじゃないのかと…
(いずれも「2ちゃんねる」のプロレス板から)

斉藤彰俊が、道場のある団体で練習生を経験しないまま青柳館長のところの看板をめぐる小林邦明との因縁話をこしらえてもらい、「ハイスパート」なるプロレスになしくずしに入っていったのは事実だ。
(その前からインディー団体にも上がっていたし)

それが今回の原因だったかどうかはともかくとして、

きちんとした教育を受けていない者が、わかったフリをしていると、とんでもないことが起こりうる
少なくとも、「失敗」の都度、そのことを責められるということを筆者は気づかせてもらった。

これは、疑似科学問題にも言えるのではないだろうか。

まともな科学教育を受けず、つまり既説を学びその上できちんと検証したり真偽を確かめたりする訓練も受けず、偏った啓蒙書や、特定の人物のわずかな教えを鵜呑みにして新しい説に飛びつくことが、どれだけ危険なことであるかということだ。

ただし、これは、流行の疑似科学にのっかるおっちょこちょいの肯定派だけに対する教訓ではない。

特定の物理学者のいうことを鵜呑みにするカルト否定派にもあてはまる。

そして、医学・医療の問題を語るシンポジウムなのに天文学者が仕切ってしまうジャパンスケプティクスの「物理学者なら何でもわかる」といわんばかりの運営にもいえることである。

話を戻そう。

当日の観客の証言では、たしかに「くの字」に曲がった
三沢光晴に観客がしーんとなったという書き込みがいくつかある。

今後のプロレス界の事故防止の為にも、斉藤彰俊が放ったバックドロップはきちんと検証すべきだ。

翌日の試合で、斉藤彰俊コールが起こったという。

優しいのは結構だが、「事故だから仕方なかった」で済ませる意味ならとんでもないことだ。

三沢光晴の死を軽く見るなといいたい。

次に、識者のコメントもいろいろ議論されているが、ターザン山本が相変わらずエジキになっている。

三沢光晴の宿敵(?)である馬場元子さんに電話したことを記事にしたら、その「野次馬根性」を批判されているのだ。

しかし、その批判者は考え違いをしている。

ターザン山本に限らず、書き屋というのはそうでなければならない。

野次馬根性を発揮しない書き屋に存在価値はない。

不謹慎といえば、不謹慎かもしれない。

しかし、それはファンが聞きたいことでもある。

結論としてターザン山本は、書き屋としての仕事をしたに過ぎない。

馬場元子さんのことを知りたいファンはいる!

かんたんにいえば、暴き、覗き見など、国民の汚い欲求を、国民にかわって行うのもマスコミジャーナリズムの仕事なのである。

それをもって、わかってない大衆は「マスゴミ」というが、冗談じゃない。

「暴き、覗き見」を否定して、世の中は1ミリでも進むのか?

人間は間違いうるが、自分の弱いところを隠したり嘘をついてごまかしたりするものだ。

だがそれを許していたら、悪事は何も解決しない。

だから、「暴き、覗き見」するのだ。

もちろん、個々の行為が、法的道義的に議論すべき場合もあるが、「暴き、覗き見」そのものをまるごと否定する了見はおかしい。

「暴き、覗き見」はプライバシーに踏み込む誤りを犯すこともあるが、政権も倒せる。

そういうものなのだ。

最後に、この件ですぐに頭に浮かんだのは大槻義彦氏である。

大槻義彦氏は以前、自らのブログで、いじめられっ子の自分の体験も体罰もイジメもスポーツも、選手の死もすべて「暴力」の一言でくくるという、例のごとく粗雑な所感を発表した。

葦の髄から天井を覗く物理学者

おそらく、今回の出来事についても鬼の首でも取ったようにプロレスを唾棄していることだろう。

冒頭に書いたように、「頭から落とすプロレス」は筆者も賛成しないし、プロレスが厳しい現状にあることは間違いないが、大槻義彦氏が書くような「プロレス=暴力」だからという理屈でブロレスを否定をする気はないし、それでは何も真実は見えてこない。

大槻義彦氏はプロレスを見ないそうだが、今から先回りして書くと、見ない(知らない)者が批判してはならない。

スター選手が命を失った重大な出来事なのに、お得意の居丈高モードの聞き書きなどしてほしくない。

大槻義彦氏はおっちょこちょいだが、卑怯者や嘘つきではないから、それはないと思うが、念のため。

付記
往生に素懐を遂げられた三沢光晴選手のご遺徳を偲び、哀悼の意を表したい。

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