科学知識“だけ”の問題か?

   2015/04/27

科学知識“だけ”の問題か?

科学知識は、世の中の法則性を明らかにしたり、それをもとに未知のことを予測したりする。ただし、人間が間違うのは、科学知識だけの問題ではない。一見あたり前のことを、改めて論じるのは、時事通信で興味深いニュースが報じられたからだ。

時事通信(8月4日21時53分配信)では、年収が多い世帯ほど子供の学力も高い傾向にあることが、2008年度の小学6年生を対象にした全国学力・学習状況調査(全国学力テスト)を基に行われた文部科学省の委託研究でわかったと報じている。

委託研究では、5政令市にある公立小100校を通じて、6年生約5800人の保護者から家庭環境などのデータを新たに収集。個人名が分からないよう配慮した上で、学力テストの結果と照合した。
学力テストには、国語、算数ともに知識を問うA問題と活用力を試すB問題があるが、世帯年収ごとに子供を分類すると、いずれも200万円未満の平均正答率(%)が最低だった。
正答率は年収が多くなるにつれておおむね上昇し、1200万円以上1500万円未満だと200万円未満より20ポイント程度高まった。ただ、1500万円以上では正答率が微減に転じた。

疑似科学批判の問題で、これまでエラソーに語ってき人々の中には、もっぱら「知識」を問題にしてきた人がいたが、それについて筆者はふたつの点で懐疑的な立場を取っていた。

ひとつは、「知識」そのものについての問題である。

つまり、疑似科学に騙されるのは「知識」だけの問題なのか、ということと、もうひとつは、「知識」の中身の問題だ。

筆者はブログ・メルマガで何度も書いているが、人間の理性というものは科学知識だけで成り立っているわけではない。

また、科学知識も国語力あってこそ、という当たり前の認識が、彼らには欠落している。

つまり、知識だの学力だのといっても、しょせん科学知識の必要性しか彼らは問題にしていない。

少なくとも科学知識以外への配慮に欠けている。

たとえば、大槻義彦氏のように、ブログや著書で「文系」「理系」などいちいち人にレッテルを貼り、文系の人間に対しては敵対する立場であるかのような書き方を行う人もいる。

ジャパンスケプティクスの会長は、実は理系に学ぶ(学んだ)人間でも間違うのに、あえて「理系ではない人間」を俎上にあげ、理系なら間違わないかのような批判を機関誌上で行ったことがある。

「理系」でない者が劣る、もしくは「理系」でないから疑似科学に騙される、といわんばかりの作為的な主張に筆者は同意できない。

疑似科学批判にかかわるあらゆる問題のミスリードに繋がると思う。

話を戻そう。

もうひとつは、「知識」がどう獲得されるかという問題がある。

本当に「知識」を大切だと考えるのなら、現代は、子どもたちの「知識」の獲得や学習能力を全面開花できる社会的環境なのか、ということについても考えてみるべきである。

ところが、彼らはそれについて今まで有効な提言も議論も行ってこなかった。

そもそも社会的問題であるという認識すらなかった者もいるのではないのか。

冒頭の報告は、学力テストの結果を各家庭の経済力と結び付けて分析した初めてのものという。

学力を、「天賦の才」としたり、たんなる個人の努力・心がけに還元したりすることに待ったをかける画期的な報告だと思う。

これは、たとえば、すべき学習をせず赤点を取り、安易に「家が貧しいから」「政治が悪いから」などと言い訳することを認めるものではない。

個人の怠慢だけの問題にするのも、社会的課題を個人の怠慢の口実に使うことも、池内了氏的に言えば「社会の疑似科学」である。

つまり、個人の怠慢と、社会の課題をきちんと区別し、明らかにすることが、「社会を科学する」ものの見方ということだ。

そうした分析をできる人々が協働し、文系だの理系だのとつまらない学問ヘゲモニーを持ち込まず、これまできちんと行われてこなかった「なぜ人は疑似科学に騙されるのか」という問題に取り組み、まじめな提案を行ってもらえればと筆者は心から願っている。

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