代理出産に思うこと

   2015/04/30

代理出産に思うこと

代理出産でお馴染みの長野県・諏訪マタニティークリニックで、代理出産によりわが子を得た女性(27)と、代理母となった女性の実母(53)が25日、東京都内で記者会見。代理母は素顔で登場した。時事通信が報じている。代理出産は今回が初めてではないが、母子が揃って記者会見としてのは非常に珍しいケースである。

まず、報道から引用しよう。

多くの人の支えに感謝」=代理出産の母娘、素顔で会見?長野のクリニックで実施
長野県下諏訪町の諏訪マタニティークリニック(根津八紘院長)で、代理出産によりわが子を得た女性(27)と、代理母となった女性の実母(53)が25日、東京都内で記者会見し、「多くの人の支えでここまで来られた」「心から感謝している」と喜びを語った。

国内の代理出産の当事者が顔を出して事実を公表するのは初めて。女性は「同じように悩んでいる人は多い。悩みが少しでも軽くなれば」と思いを述べた。

女性は1歳のときに病気のため子宮を摘出。2006年の結婚を機に、実母から「自分が代理母になる」と持ち掛けられ、最初は「そこまでしていいのか」と悩んだという。

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実母は既に閉経していたが、ホルモン剤などで妊娠出産できる状態に戻し、娘夫婦の受精卵を子宮に移植。昨年9月、2回目の試みで着床し、切迫流産の危機を2度乗り越え今年5月に健康な男児を出産した。

「娘を母にしてあげるという長い間の夢がかなってほっとしている」と実母。女性は「抱っこしてピタッと泣きやんでくれたりするとき、『ああ母親なんだな』と実感する」と喜びをかみしめた。(2009/11/25-17:30)

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社会と個の矛盾というか、社会的に倫理的な問題が取り沙汰されるのは当然だと思う。ただ、当事者の立場に立ったとき、子供が欲しい娘に母親が応えるという光景に文句をつける気にはなれない。

実母は閉経しているというが、それは高齢者の高血圧と同じで「もう妊娠してはいけない」という体力的な限界を示すサインにも思われるので、いずれにしても後々のケアをして欲しい。

この件で積極的に発言してきたのは向井亜紀。子宮がんで子どもが産めなくなった彼女がその立場に立つことは否定できないが、彼女の数々の発言にひとつだけ注文がある。

自分の行為を正当化するために
「自分の腹を痛めて」生むことの意義に、代理出産はかなわない
という大前提を否定したり誹謗したりすることはやめてほしい。
そういう発言こそが倫理的に問題なのだと思う。

もちろん、産まれてくる子どもの値打ちとは何の関係もない話だ。

美味しい料理を自分で作るか、デリバリーで調達するか。「料理を自分で作る」ことができない事情があれば別だが、できるのなら、たとえ条件的には厳しくてもそれを経験したい、またはすべしというのは、人の気持ちや摂理として当然のことだろう。

ちなみに向井亜紀は、筆者の妹の大学時代の同級生だ。子どもを欲しい気持ちもわかる。ただ、ときおり聞こえる彼女のつんのめった発言が気になった。

産めない母と産みの母―代理母出産という選択

産めない母と産みの母―代理母出産という選択

  • 作者: 小泉 カツミ
  • 出版社/メーカー: 竹内書店新社
  • 発売日: 2001/11
  • メディア: 単行本

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