「科学知識」と「騙されないこと」をつなげるものは?

   2015/05/03

科学知識
科学知識は、疑似科学に騙されないようにするために必要な知識である。しかし、科学知識があれば疑似科学にだまされないかというと、そうとは限らないところがややこしいところである。そこで今回は、「科学知識」と「騙されないこと」をつなげるものについて考えてみた。

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ある食材から抗がん作用を発見!
というニュースをたまに見かける。

しかし、おそらくこのメルマガをご覧の方なら、それだけで興奮することはないだろう。

「抗がん作用がある」ことと、「がんに効く」ことは、ダイレクトにつながるものではないことをご存じだろうから。

同じように、「科学知識がある」ことが、「疑似科学に騙されない」ことに、ダイレクトにはつながらない。

知識があれば、何でも見通せるではないかと思うかもしれない。

とくに「理系の高学歴」の人に、そのような幻想があるようだ。

たとえば、水商売ウォッチングの先生のブログを拝見するとコメント者に対して、科学知識と価値意識にかかわるものを対立させ、科学知識をより大事な物と強調している件がある。

しかし、科学知識と価値意識を比較や対立すること自体がまずおかしい。

何より、現実は科学知識を身につけても何でも解決するわけではない。

なぜなら、人間はしょせん非合理な生き物である。

間違いうる生き物である。

知識があろうがなかろうが、ちょっとしたことで、感情が刺激され、不安になったり、恐怖を感じたりする。

その結果、目先のことしか見えない状態になり、理屈に合わない選択をしたり、人を傷つけたりする。

これは、老若男女、学歴、職業に関係なく人間誰にでもいえることだ。

ところが、疑似科学批判についてメディアで発言する「理系の人」の一部には、そんな当たり前の前提が抜け落ちていることがある。

疑似科学に騙されることについて、科学知識という原因を過大に表現する啓蒙をやめようとしない。

それは、彼らが理科教育や理系諸分野のPR、もしくは自分の金もうけや自己顕示にこの問題を利用したいからということを筆者は9年間の様々な体験から知ったのだが、彼らのそうした了見が、この問題の大きな障害のひとつになっていると思っている。

なぜ理系の高学歴者がオウムに走ったのか

さて、最高裁第三小法廷(近藤崇晴裁判長)は1月19日、一、二審で死刑とされたオウム真理教元幹部・新実智光の上告審判決で上告を棄却。死刑が確定した。

昨年12月10日には、やはり元幹部・井上嘉浩の上告審判決が最高裁第一小法廷(金築誠志裁判長)で開かれ、こちらも被告の上告が棄却された。

これで、一連の事件に関連して死刑が確定した元幹部は、教団元代表の松本智津夫以下、岡崎一明、早川紀代秀、横山真人、豊田亨、広瀬健一、垣本悟、そして井上、新実の十名だ。

上告中の土谷正実、中川智正、遠藤誠一らも二審で死刑判決が出ている。

これだけの大きな事件が起こり多くの方々の犠牲がありながら、人はなぜカルト教団に翻弄され、このような誤りを犯すのか、という根本的な疑問について、実は今もきちんとした回答が出ていない。

オウム真理教に限らずカルト教団は、しばしば現代科学の成果を無視した「定説」や「超能力」を喧伝する。

そこで、疑似科学批判で発言する「理系の人々」は、彼らがマスコミで話題になるたびに、現代人の科学・理科知識について指摘する。

科学的根拠のないことを信じるのは、科学と無縁の神秘主義に傾倒したり、科学に対して無知や無理解があったりするからだ、だからそれは理科教育の問題だ、とする単純な論法だ。

たとえば、テレビのオカルト論争番組に出演し続けた物理学者の大槻義彦氏は、かつて同誌のインタビュー記事で、江原啓之氏の流行について、日本の戦後教育がエリートとそうでない者の選別に熱中し、「こうした戦後の(論理的科学的な思考をしない)理科教育のせいで、江原を信じている多くの信者が犠牲になったと言えます」(『紙の爆弾』08年5月号)と語っている。

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「犠牲」という言葉は使っているが、だいいちにこの言い方は不遜である。

無知だから騙される、と言っているからだ。

これではまるで、騙される方が悪いという言い方ではないか。

それは、大槻義彦氏自身が17年前に言っていたこととも矛盾する。

大槻義彦氏は17年前、これまでの科学の要素還元主義的な考え方では、「騙される人」の価値意識を読み解くことが出来ない不十分さを「女性のひろば」という雑誌のインタビューで率直に告白している。

つまり、「論理的科学的」であるかないか以前に、科学そのものが万能でないことをはっきりと認めている。

あの話はどうなったのだろうか。

なぜ、同じことを言い続けられないのだろうか。

この点を見逃していない人間は筆者だけではない。

と学会に「聞き書き」を見破られ、「物理学帝国主義」に逃げ込んだ大槻義彦氏は、一切そのような話をしなくなった。

それが残念でならない。

ちょっと考えて欲しい。

無知だから悪いのか?

科学に無知な者はサリンは作らない。

全く逆で、科学知識があるからサリンを作るのである。

そして、サリンを自分の欲得でばらまく人間が悪いのであってサリン対策の「知識がない」被害者が悪いわけではない。

さらに、大槻義彦氏が言うところの、系統的でない理科教育で無知になってしまった「普通の人々」は、無知だから被害者になったわけではない。

サリン攻撃による「無差別殺人」の被害者なのである。

ノーベル賞受賞者だろうが大槻義彦氏だろうが、水商売ウォッチングの先生だろうが、あのとき地下鉄に乗っていれば、みな被害者になったのである。

そもそも、この問題は、騙す側(幹部)も一方では教祖に騙されている立場であり、かつ彼らの多くが「理系の高学歴」である。

こうした現実は、大槻義彦氏の見解ではどうがんばっても説明がつかない。

大槻義彦氏の言う「論理的科学的思考」の欠如や選別教育は、科学・理科だけに範囲を限定する固有の問題でもない。

いわゆる文系諸分野にも同じことは言えるし、その背景や影響を探ることも含めて、人文・社会科学の力なしに肉薄は不可能なテーマである。

にもかかわらず、「理科教育のせい」とまとめてしまうのは皮相的であり、理系の世界で完結している夜郎自大。

それでは永遠に問題解決には接近できないだろう。

科学知識を、いかなる価値に使うか

科学知識の多寡や獲得の仕方ウンヌンではなく、獲得した科学知識を、いかなる価値に使うか、という点に問題の本質がある。

江川紹子氏は、「どんな人がカルトにハマりやすいか」という問題について、「学歴」「家庭環境」「宗教や不思議なものの好き嫌い」などは、いずれも原因として無関係ではないものの、決め手となるわけではない。むしろそうした点で、カルトから遠いと思われる人でもハマることはあり、そこにこそカルトの複雑さがあるとしている。(シンポジウム「日本におけるカルト教団の実体と問題点」より)。

彼女もまた、科学知識や神秘主義などが全てではないといっているわけだが、最近問題になっている鳩山首相のオカルト医療「検討」といい、理系の最高峰にいたはずの人間のトンデモぶりは、大槻説の破綻を裏付けてくれて、内心愉快で仕方ない。

こう書くと、決まって、お前は科学知識の獲得を否定するのか、という反論が出てくる。

「お前はオカルト否定派の足を引っ張る」などというフンパンものの罵倒をしてきたおバカさんも実際にいた。

そんな足など、いくらでも引っ張ってやろうじゃないか。

繰り返すが、「科学知識がある」ことと、「疑似科学に騙されない」ことは、ダイレクトにつながらない。

筆者はそう言っているだけだ。

「科学知識」が大切だという立場に立つのならなおのこと、「科学知識さえあればいい」で完結するのではなく、何が「つながる」ために必要なのかを考えてみたらどうだろうか。

もう、紋切り型の、科学知識コレクターの薦めではなく、科学知識をいかなる価値に使うか、価値意識の重要さを認識し、啓蒙することが必要ではないのか。

それができない古典的な要素還元主義者、理科教育のプロパガンダのみの目的で発言している人々は、ミスリード防止のため、もう表舞台からお引き取り願いたい。

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