「消費税仕方ない」論とスケプティクスな考え方

   2015/05/05

消費税仕方ない
「消費税仕方ない」論というのが蔓延している。消費税が上がるのは困るけれど、国の財政も困っているから仕方ない、という理屈だ。しかし、国の財政がどう困っているのか。どのくらい困っているのか。それはどう解決できるものか。そのへんについてきちんと考えたわけではなく、マスコミや為政者の「仕方ない」論をただ鵜呑みにしているに過ぎない。

前回、共同通信が、イギリスの「豊かな死」を報道したが、実はそれは、イギリスの医療的成果の低さの裏返しであると書いた。

「豊かな死」という共同通信報道への疑問

イギリスは、自分のところの医療的水準の低さを隠すため、国威発揚で、「終末」の「立派さ」を報じたのだ。

では、海を越えて我が国の共同通信がこのニュースを配信したのはどうしてか。

これもまた、同社の意図や自覚にかかわらず、国威発揚の価値を携えていると筆者は考えている。

菅直人首相の突然の「消費税」発言で選挙は敗北。

それは自業自得だが、その消費税を巡る各社報道で気になるのは、「国民は消費税増税をやむを得ないと思っているが、説明が足りないから国民の合意を得られない」という言い方だ。

そうだろうか。

本当に「やむを得ない」と思っているのだろうか。

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「思っている」と「思わされている」とは似て非なるものである。

今回10%と倍増しているが、それがどういう使われ方をするのかという具体的な構想は何も出てきていない。

何を以て「無駄」かは意見が分かれるが、「無駄」とされるものはいくつか言われている。

それらをやめればいくら浮くのか、試算もきちんと行われていないのに、それでも「消費税やむを得ない」なんて思う国民がいるのか。

国民はそこまで政府に飼い慣らされてしまったのか。

今回のように外国に比べて粗末な医療、と思わせるような報道があれば、そのためなら消費税値上げも仕方ないなと思ってしまう。

国に借金がどっさりあることばかり強調するから、ギリシャとイコールで考えてしまう。

しかし、行政に関する情報は、しょせん何らかの目的のために発せられているものとまず疑ってみることだろう。

お門違いだからこそ「仕方ない」と報じる

「イギリスが一番」というのは、イギリスは一番でないからこそ発せられる情報なのだと裏を読むのだ。

「消費税がやむを得ない」報道は、消費税で賄うことがお門違いだからこそ、国民感情を操作するために発した情報なのだと正反対の推理をしてみたらどうだろう。

結果的にあたっても外れでも、それがスケプティクスとしての思考というものである。

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民主党の代表選、立ち会い演説会が各地で行われているが、参議院選では菅民主党を惨敗させておきながら、何ら政治・経済状況がかわったわけでもないのに今回は菅首相の公約修正に理解を示す日和見有権者がいるようだ。

好き嫌いやマスコミ報道のうわべに流されず、もっとしっかりと物事を見て欲しいものだと思う。

さて、ジャパンスケプティクスの松尾貴史運営委員は、「日刊ゲンダイ」の連載において、先の参議院選の前の週の回でまさに「国民は消費税増税をやむを得ないと思っている」論を何の検証もなく使っていた。

あるデータから、「国民は消費税増税をやむを得ないと思っている」という結論を前提に、そこを責める自民党を的外れと非難する内容である。

しかし、民主党は惨敗した。

それはここでは措こう。

当時、菅内閣の支持率はv字回復の最中だった。

松尾貴史委員は、そういう世論というか空気を読んで自民党を貶めたかったのかもしれない。

いずれにしてもそれは「表現の自由」だが、問題は、連載中、いつもは意図的な結論を引き出す目的があったり曖昧な考察しかしていなかったりする「データ」を批判している松尾貴史委員が、なぜ、そのときだけ「国民は消費税増税をやむを得ないと思っている」という「まんま」の考察を前提にしているのか、ということである。

そんなにあっさり使っていいのか?

「思っている」って何を根拠に?

かりにそうだとして、では国民はいかなる根拠で「思っている」のか?

「思っている」と「思わされている」の違いに着目することこそが、スケプティクスの真骨頂だろう。

松尾貴史委員は「既知」、つまり既存の真偽の命題については勉強家のようだ。

そして空気を読むことに長けている。

新聞報道などの「既知」で世論にマッチングさせた論理を組み立てることに優れているのかもしれない。

しかし、懐疑の本質は世論という空気を無視することから始まる既知を否定するところから道が開ける……こともある。スケプティクスというのはそういうものだと思う。

常識的で、松尾貴史氏の好きな「しなやか」な処世術は、実は懐疑的立場からもっとも遠いところにあるのかもしれない。

この手の話題には決まって、(疑似)科学の問題と、政治・イデオロギーの問題は別という意見が出るのだが、よく考えて欲しい。

確かにテーマによってはそうだが、そうとはいいきれないものもある。

要はそれが「真偽(事実か事実でないか)の命題」なのか、「価値の命題」なのかをみきわめることだ。

ここで書いていることは消費税の賛成・反対そのものを問う「価値の命題」ではない。

それを主張する個別の政党の支持・不支持も全く問題にしていない。

国民が消費税をどう判断するか、大新聞が垂れ流す「認識」に頼るのではなくその仕組みと世論の関係に、先入観なく事実にありのままに接近しよう、という話である。

自然現象であれ社会現象であれ情報は鵜呑みにしない。

懐疑のセンスとして「真偽の命題」の原則としてそれは基本中の基本ではないだろうか。

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