「良識あるマスコミ」とやらは何を報じたか

   2015/02/14

うーむ
私は昨年火災を経験しまして、
ちょっとネットはお休みしていました。

それについては、また別の場で詳しく書いていきたいと
思っていますが、関連することについては、
このブログでもご報告したいと思います。

今月14日、東京・板橋で火災があり、女児2人が心肺停止から
亡くなるという痛ましい事故がありました。

このことに関して、まず、火災が原因による「心肺停止」について、
経験から知ったことを述べておきます。

「心肺停止」という表現からみて、
おそらくこのお嬢さんたちは
現場ですでに亡くなっていたのではないでしょうか。

今回がそうだというわけではありませんが
たとえば、全身まる焼けで、
誰が見ても亡くなっているような状態でも、
医師が診て死亡診断をくださないかぎり「死亡」にはならないし
そう報じてはならないことになっています。

よくあるマスコミの「心肺停止」という報道の実態は
そういうことです。
亡くなっているけど、医師が死亡診断書を書いていないからそう表現しないだけ。

まあ、中には本当に「死亡」ではなく文字通り一時的な「停止」で
救護処置によって蘇生する場合もないわけではありませんが、
恐らくその場合は、脳に酸素がいかない状態が生じたわけですから
重篤な後遺症を覚悟しなければなりません。

低酸素脳症です。

そう、火災というと、焼け死ぬことをまず考えますが
むしろ怖いのは、一酸化炭素中毒による低酸素脳症です

助かっても、
遷延性意識障害や高次能機能障害が
その人の社会復帰を妨げることになります。

焼けることより「むしろ怖い」と書いたのは
やけどは、第三者が見てもわかりますが
脳症ははたから見てもわからないし
脳神経外科を標榜する医師だって、実は治すことは出来ません。

つまり、理解も治療もできないという点で
焼けるよりも悲惨なんです。

というのが、報道から見た火災傷害の一般的な解釈と
しっておいていただきたいことです。

ただし、本当に助かる場合もまれにあります。

私の妻も、病院に搬送されたときは心肺停止で
第三次救命救急患者だったのですが、
現在は気道熱傷による経過観察以外
後遺症はなく社会復帰。
毎日晩酌を欠かさない日々を送っています。

世の中にはそんなこともあるんですねえ。

私は事故以来、生涯アルコールは断つことにしたのですが
まあ、せっかく心肺停止から生還できたのだからと思い
妻には晩酌だろうと何だろうと、好きなことをさせています。

話を戻しますと、
今回の事故について

>東京都板橋区の民家で今月14日、女児2人が死亡した火災は、
>規制前の旧型ライターによる火遊びが原因とみられ(時事通信)

と報じられています。

が、いったい
これを書いた記者は何を根拠にしているのでしょうか。

経験者だからわかりますが、この記事はおかしいです。

14日に火災があれば、現場検証ははやくて15日。
娘さんたちの葬儀などもあるでしょうし
母親は取り乱しているそうですから、
とても当事者に事情を聞ける段階ではない。
調書は作れない

なのに

なぜ、火災の原因を特定できるのでしょうか!

私の経験で言えば、
この記者は、現場の警察官の雑談を小耳にはさんだか
ぶら下がりのような取材をして
片言隻句をそのまま正式な発表のように書いてしまったか
どちらかだと思います。
要するに正式な発表ではないのです。

しかし、その段階で報道する必要があるのでしょうか。

きちんと調書がまとまり
関係者が認めのサインをして、結論が出てから
はじめてオフィシャルなものとして
報道すべきではないでしょうか。

死亡したお嬢さんたちの名誉を考えれば、
そこはもっと慎重であってほしかったと思います。

私のときも、
火災の当日は放火説、
翌日の昼のNHKニュースでは、
「子どもの火遊び」説を全国に流されましたが、
実はその時点で、現場検証すら始まっていませんでした。

「みなさまのNHK」は見事にトバしてくれたわけです。

かつて「奇跡の詩人」問題のとき、
「民放ならともかくNHKが間違いを報じるはずがないと思っていた」と言った
某物理学者がいました。

疑似科学批判を標榜するのなら
懐疑者としての原則を忘れないでほしいと思います。

権威や名声を絶対視した信じ込みは、
騙される第一歩。

それは懐疑者として基本中の基本、
あたりまえの話なのです。

私はその当たり前のことを、
このブログで十年間、何度も書いてきました。

が、天羽優子さんや、
渋谷なんとかというわけのわからないブログでは
そんな私の主張に対し
私が書いてもいないことを決め付け
真意を確かめることもなく誹謗して
私をコバカにする
態度を改めませんでした。

天羽優子さんのブログにいたっては、
権威を信じることはおかしくないという
居直りが書かれていましたが、
根本的に懐疑のセンスが違うような気がします。

よく「本音と建前」なんていいますが
マスコミ報道に限らず、
この世のあらゆる事象、あらゆる人の言動には
表に見えることと、隠れていることがあるのです。

後者を見るというセンスがない限り、
いくら優秀な学校を出ようが
本を読んで知識を蓄積しようが
真実に肉薄することは出来ません。

そして、どんなに善意やまじめさに基づいた発言であっても
人間というのは間違いうるものなのです。

つねに、そうした留保をつけたものの見方が出来なければ
人はあっというまに間違ったり騙されたりしてしまいます。

私の話に戻りますが、

三大紙のひとつは、私の息子が死んだと決め付けて
学校名まで全国に公開してくれたため、
その後、近隣の方や学校関係者に多大なご迷惑をおかけました。

今も息子の学籍はそこにあります。
しかし、私たちはそこに居辛くなり
違う町に転居せざるを得なくなりました。

犯罪加害者の人権ばかり必死になって守る一方で
被害者、犠牲者については個人情報を公開してもいいという
ブルジョアマスコミの理屈が
私には理解できません。

現在、その新聞社に対しては、法務担当者との話し合いを求めています。

もちろん、大槻義彦氏のように、自分を出演させないからマスコミを
訴えるなどという馬鹿げたメンタリティに転落したつもりはありませんが、
書かれてしまった被害は、裁判でしか解決できない場合もあります。

それはともかく
メディアの報道、鵜呑みにしてはいけません。

とうことで、今日は復刊第一号なのでこんなところで失礼します。

質問や批判、いつでも受け付けています。

私は、イタイ人、勘違いしている人は本来大好きです。
ただし、人間は間違いうるという見定めがなく
自分は正しいと思い上がっている奴には厳しいです。

よろしくお願いします。

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