野田聖子さんの「高齢出産」と「ニセ科学」問題

   2015/02/14

母と子
野田聖子衆議院議員の出産について書きます。今週号の「週刊現代」に出ていた、野田聖子衆議院議員と、吉村泰典慶應義塾大学産婦人科教授・日本生殖医学会理事長の対談は興味深いものがありました。興味深いということは、全面賛成でも全面反対でもなく、是々非々で考えさせられる点があるということです。

野田聖子さんといえば、前夫時代から長年にわたる不妊治療、
そしてアメリカ人女性から卵子提供を試みた体外受精によって、
真輝さんを産んだ高齢出産が話題になりました。

しかし、妊娠中、胎児に臍帯ヘルニアと心臓疾患があることが判明。
また出産後は、食道閉鎖症や心臓などで7回の手術を行いました。

その際、呼吸停止で脳に酸素が行かなくなり、
現在真髄さんは脳梗塞による右半身マヒを残しています。

それをもって、「高齢出産なんかしたからだ」と
高齢出産バッシングが世間の一部にはあり、
同紙の対談も、高齢出産を徹底的に否定的する吉村泰典教授の物言いに、
懸命に反論する野田聖子さんという構図です。

その中で、ゆるがせにできないくだりがありました。

「吉村 障害のある子供であっても受け入れるというのは
素晴らしいことです。でも、それは「あなたにとって素晴らしい」
ということ。というのも、権利を主張できない命というのが子供です。
厳しいことを申し上げをようですが、僕には出産があなたのエゴで
あるように思えなくもないのです。

野田 それを言ったら、子供を産むこと自体が親のエゴだといえる
のではないでしまうか。」

誤解のないように、まずはっきり述べておくと
医師・医学者が、医学的確率から高齢出産のリスクを指摘することは、
必要なアプローチです。

つまり、学術的な回答を述べることは立場上当然です。

しかし……本稿ではここから先が大切です

障がい児を生むことをエゴとしかとらえられない傲慢さ

この世に生を受ける機会に対して「エゴ」という表現で、
人間の摂理や普遍的な価値判断にまで口を挟む資格はあるのでしょうか。

「まじめな」科学者、医学者にありがちな発言なのですが
この医師は、科学的認識と価値意識の境目を忘れているのではないでしょうか。

科学的に正しいことに基づいているからといって
それによる価値判断が「正しい」とは限りません。

かりに、真輝さんが将来「なんでこんなぼくを産んだの?」と思ったとしても、
それは生を受けたからこそそのような認識や判断や哲学が生まれたのです
真輝さんが生まれなければ、彼がそういうことを考えることすらできないのです。

生まれて生きるということと、最初から存在しないということの間には
比較にならない違いがあります。

生きる限り、どちらかと問われれば
幸運の方が不運よりもいい、幸福の方が不幸よりもいい、
健常者の方が障害者よりもいい、健康の方が病気よりもいい。
これはたぶん100パーセントの人が思うでしょう。

でも、それは生まれてきたからこそそう考え、
自分の人生をそのどちらにあたるかを考えられるのです。

生まれなければ、不幸も不運もないのです。
生まれたからこそ考える機会を得られる価値判断なのです。

だいたい、吉村泰典医師だって、ご自分が生まれたから、
野田聖子さんの高齢出産を素晴らしくないと考えたのでしょう。

この世に存在しなければ、野田聖子さんにそのような
意見を言うこともできなかったのです。

人間は、生まれたからこそ、今の地位も生活も意見ももてるのです。
なのに、それを忘れて、人間の「生」自体に、
素晴らしいか素晴らしくないかの勝手な判断付けをする。

エゴかどうか、すばらしいかすばらしくないかなんて、
真輝さん本人を差し置いて、
この医師は差し出がましいのではないでしょうか。
(そもそも、この医師は、発達障害者の施設に行って
ひとりひとりのお子さんに、ヒアリングでもしたのでしょうか。)

それと同時に、人間の誕生を
産婦人科医が「あなたにとって素晴らしい」と矮小化してしまうことに対して
私は正直なところ失望すらしました。

産婦人科医にそんなこといわれたら
妊娠する側、子どものほしい人たちはどう思うでしょうか。

「いや、この医師は社会的、倫理的な見地から述べているのだ」

と、いう意見もあるでしょう。

私は先ほど摂理と書きましたが、
それは、世間の高齢出産全体の一面的な否定に対する
反論という意味をこめており、野田聖子さんの場合は厳密に言えば
事情が違います。

野田聖子さんの場合は、たんなる高齢出産ではなく
本当ならできなかったのに、
他人の卵で、医学の力を使い「無理に」出産した
その点を問われていることは十分承知しています。

ただ、いずれにしてもそれは医学者が言えることなんでしょうか。

妊娠の機会を年齢的にも広げることに
医学者自身が貢献したのではないですか。

つまり、医学者により、野田さんに出産の道が開けた。
なのに、産んだら「エゴ」といわれちゃ、
産む人の立場はないでしょう、
という話です。

この問題、背景にはいろいろあります。

・法整備が遅れている
・国民に倫理的なコンセンサスが十分ではない

さらにいえば、どうして「高齢出産」になってしまったのか
文教や福祉、経済の問題もあるでしょう。

ですから
「高齢出産のリスク」ということだけを取り出して
妊娠したい人や産んだ人を責め立てることが
問題解決に資さないことは明らかです。

で、いつもと同じ結論ですが
疑似科学批判の問題全体について
私は以前から同様のことを述べてきたのです。

「科学的回答」と異なる表明や実践をした、そこだけを
責め立てても問題は解決しないという話です。

科学の問題は科学的に解決する
しかし、疑似科学の問題は社会的に解決する

私はその立場をとっています。

付記

『女性自身』(2015年2月17日号)には、『「母の喜び』独占インタビュー!!「奇跡!3歳半になって長男真輝が歩けるように……」』というタイトルで、高齢出産で叩かれ放題だった野田聖子議員が、息子さんの成長を語っています。

野田聖子
『女性自身』(2月17日号)より

野田聖子議員長男の記事から、過去のバッシングと障がいを考える

それによると、産まれたお子さんは臍帯ヘルニア、心臓疾患、食道閉鎖症と重なって、ネットはもう祭り!

当時は余命すらいくばくないような報じ方をされましたが、現在は保育園に通い、自宅では晩酌のビールを運び、野田聖子議員の履き散らかしたスリッパを揃え、テレビのお笑い番組を鑑賞。親子で旅行もして、ベビーカーでごく自然にピースをしている記念写真も記事に添えられています。

脳梗塞の後遺症も最小限に済み、おそらくは胃ろうや気管切開のカニューレも将来は取れそうです。

親として健常児の誕生を願うことは間違っていません。だからといって、生まれた障がい児を不幸というのは、あくまでも健常者からみた障がい者への評価にすぎません。そこがわからないと、実のある議論にはならないでしょう。

吉村泰典教授は、その辺の想像力に欠けている人に私には思えます。

そして、この記事にはコメントが入ったので、以下の記事に続きます。

研究者と国民の関係と責任の所在

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