小沢一郎氏怪文書騒動と「ニセ科学」

   2015/02/11

怪文書
小沢一郎氏の夫人が、支援者に「離婚した」「小沢一郎は放射能が怖くて地元に行けない」といった手紙を送ったという怪文書騒動が『週刊文春』に掲載されて話題です。それについて、有田芳生氏が、小沢一郎否定派の藤本順一氏と「SPA」で対談。小沢一郎氏離縁状がデタラメであると語っています。

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どうデタラメといっているか、具体的な記事の内容はここでは省略しますが
注目すべきは、藤本順一氏は小沢否定派であるということ。

その藤本順一氏ですら、この騒動の仕掛け人は「ゲス」と断罪しています。

ですが、巷間のブルジョアマスコミの論調を見ると
法案反対者に謀略ビラをばらまく行為を一切問わず
手紙の中身は本当に違いない、などと詮索に熱中しています。

ドジョウの番犬に成り下がったマスコミの迷走は
正気の沙汰と思えません。

どうしてそんなことがわかるのでしょうか。

そんな中、松尾貴史氏が有田芳生氏に、
「でもなぜ小沢氏と夫人による否定が出ないのですか?」とツイートしています。

それに対して有田芳生氏は、
「小沢氏は『言い訳しない』のが哲学」と回答しています。

有田芳生氏のツイート自体に全く異論はありません。

一方、松尾貴史氏のツイート。
意図がわかりませんが、
いずれにしても懐疑の仕方が違うと思いました。

司法的な真実接近方法と、科学的な真実接近方法は違います。

それを承知の上で、ここはスケブティクスの立場から
後者を意識して書いてみます。

不在証明=不可知論

というのは、その質問から求めていることは
不在証明を求めていることになるからです。

不在証明=不可知論です。

別居し、離婚届自体は作っているといわれている夫婦に対して、
放射能や水がうんぬんかんぬん、などという「夫婦のエピソード」はあり得ない。

かといって、小沢一郎氏が絶対に怖がっていないという証明もできません。

手紙の内容は「事実とは考えられない」。
ただし、事実ではないという証明もできないということです。

それはどういうことかというと、
松尾貴史さんの得意技にあてはめれば、すぐにわかるでしょう。

ドラえもんが「いない」という証明はできません。
たとえ、「いる」という人がいなくても……。
だからといって、「いる」ということにはならない。

それと同じことです。

松尾貴史さんは、愚民にわからせるために
わざとそんなツイートをしたのでしょうか。
やはり、ご本人に多少なりともそのような疑問があったからでしょう。

他の人ならともかく、
疑似科学批判者であるなら、その質問が私には理解できません。

疑似科学批判で上から目線で「肯定派」に言い放っていることを、
なぜ他の事象に応用できないのでしょうか。

それは、松尾貴史さんが
知恵としてではなく
知識としてしか
疑似科学批判を会得していないからだと思います。

一部理系学者のセクト的な疑似科学批判の
手法や考え方のせいではないでしょうかね

私は、松尾貴史さんのような人が出てしまうことを心配したからこそ
一部理系学者の訓詁学的な「疑似科学批判」を10年以上批判してきたのです。

話がそれました。

小沢一郎氏の説明とやらは、挙証責任の有り様としても違います。

手紙がニセモノと言うなら、小沢一郎氏や夫人は
直ちに記者会見して、国民に説明しろ、という意見は、
松尾貴史さん以外にも、ウェブ掲示板の有象無象から出ていますが
善意に見て、小沢一郎氏のことを案じたのだとしても賛成はできません。

松尾貴史氏は「小沢氏と夫人」と一緒くたにしていますが
「小沢氏」と「夫人」はこの場合、立場が180度違うのですから
小沢一郎氏に求める「説明責任」と
夫人に求める「説明責任」は意味が全く違います。

ここは分けて考えましょう

まず、小沢一郎氏に説明責任があるとするなら、
言いがかりや怪文書について、
名指しされる側に挙証責任があるということになってしまいます。

みなさん、ご存じですよね。

「科学を超える」との新説に対してだれが証明するのか
裁判で、賠償責任は誰が立証するのか

いずれも、提案している側ですよね。
提案者が説明できなければ認めようがないでしょう。
小沢一郎氏が説明する必要はないのです。

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小沢一郎氏がいちいち弁明しないと
それが「本当のこと」になってしまうのですか。
そんなことは小沢一郎夫妻のプライバシーです。

では夫人はどうでしょうか。

夫人が説明したければすることを止められないし
止めるつもりもありませんが
国民に説明する義務はありません。

ただ、説明しなければ、今回はあくまでも怪文書にすぎません。
それだけの話でしょう。

政治家は公人ですから、夫婦のあり方を評価されても
それ自体は仕方ないのかもしれません。

しかし、離婚は、検察審査会まで動かした「記ヅレ」のような
公人として白黒をつけるほどの出来事では無いですよね。

「放射能」が怖いと思ったかどうかにしても、
それは本人に問い詰めても不毛であり、
結局有権者が判断するしかないことなのです。

いずれにしても、いちいち怪文書が出ると
そのたびに、それに沿って弁明しなければならない
というものでもないでしょう。

それを求めるとすれば、それは国民の感覚の方が
狂っています。

小沢一郎氏らに説明を求めるのではなく
他人の私信を謀略ビラとして、一支持者にまでばらまくという
やり方が(手紙の真贋に関わりなく)おかしい、
という感覚を第一義的に持てない時点で、
すでに人間理性が抜け落ちているのです。

もし、こんなことでいちいち
政治家やその夫人が国民に説明しなければならないというのなら
謀略する側の思うツボです。

世の中、陥れたい人がいたら
謀略ビラの質と量でつぶせることになってしまいます。

もし、そんなことになったら
とてつもなく恐ろしい世の中です。

謀略ビラがいいか悪いか
そこに善悪の判断がつかない
つけようとしないような民度で、
政治不信を訴えるのはちゃんちゃらおかしい。

原因のない結果も、裏のない表も、本音のない建て前もありません。
国民が、もう少しまじめに裏を見る意欲と能力があれば、
こんな世の中にはならなかったでしょう。
政治報道もオカルト番組も、あっさりだまされる国民……

でも、本当は、疑似科学批判のスタンスをとりながら
そこを国民に啓蒙しなかった一部理系学者にこそ
その責任を問うべきかもしれません。

付記

結局、小沢一郎夫妻は離婚したらしいですが、それをもって、やはりあの文書は本当だった、ということにはならないですよね。

いや、文書自体が本当でも、内容の真偽は別でしょうという意味です。

ですから、2015年2月15日現在でも、上記の記事は訂正も撤回もしません。

別に小沢一郎氏をかばっているわけではありません。

普段はマスゴミなどという国民が、「悪役」が記事になるととたんに信じてしまう光景は、やはりスケプティクスとして考えるとおかしいでしょう、と申し上げたいのです。

『週刊文春』は、以前、田中真紀子さんの娘さんの結婚をすっぱ抜いたら販売差し止めの仮処分が出て、衆愚は同誌を叩きまくっていたはずです。

あれはどうしちゃったんでしょうね。

ちなみに筆者は、文藝春秋社の法務部の藤原一志氏を初めてメディアに引っ張りだし、インタビューを行った人間です。

何かあると質問してお世話にもなっています。

ただ、やはりそれはそれ。

是々非々で、おかしいときはおかしい、と述べておきたい。

はたして、今回小沢一郎叩きに熱中した国民も、そのような「是々非々」という立場なんでしょうか。

そんなことはないよね。

無責任に叩きたいものを叩いているだけでしょう。

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