週刊文春と「ニセ科学」

   2015/02/12

週刊文春とニセ科学
週刊文春が、また売り上げを伸ばしているそうです。今週号は、橋下徹大阪市長の女性スキャンダル。橋下徹市長は、その記事で辞任問題にまで言及(本人は否定)し、デヴィ夫人が、「水商売の掟破り」と暴露した相手の女性に腹を立てて「参戦」。問題を大きくしています。

私は、橋下徹氏の、
政治的手法や政策の多くについて
疑問や懸念を抱いています。

だからといって、どんな叩き方をしても構わない、では
理性的なメディア評価はできません。

今、この時期になぜ橋下徹氏批判が出たのか
文春が、このネタを記事に起こしたのか。

考えてみる必要があると思います。

それにしても、沢尻エリカ大麻疑惑、原辰徳監督1億円事件と
同誌は立て続けに「スクープ」を発表。

政治家についても、小沢一郎氏夫人の怪文書、そして今回と、

分野を問わず
タブーに切り込んだ勇ましい媒体としての評価は高まりそうです。

……が、

ここで、「さすが、歴史と権威ある出版社の週刊誌ジャーナリズム」と
文春に感心している人は、懐疑者のセンスがありません。

見かけの華々しさに対して、
ぼやーっと見とれるのではなく
その裏を見ることを忘れてはなりません。

それができない人は
懐疑者として失格なのです。

私は、そこが疑似科学を含めた「疑う者」として
大前提となる資質だと思っています。

さて、
週刊文春、というより文藝春秋社は、
これまでに幾多のスクープをものにしてきました。

政治分野なら、たとえば、田中角栄氏の研究、日本共産党の研究、
週刊誌では、日本共産党幹部とソ連共産党のつながりなどがあり、
最近では冒頭に書いたように小沢一郎氏夫人の怪文書があります。

同社の記事は、田中角栄氏の政治生命に大きな影響を与えました。

日本共産党幹部とソ連共産党のつながりを報じたときは、
古参幹部の野坂参三氏が、100歳にもなって同党から除名されたことで

岡野加穂留第11代明治大学学長(三木武夫元総理の側近)など、
一部のシンパ的文化人が同党と距離を置くようになり、
同党は二重のダメージを受けました。

政治以外にも、
ナベプロ、ジャニーズ事務所、黒川紀章氏、三浦和義氏、
そして先日の巨人・原辰徳監督など、
時の権勢を誇る個人、企業、団体に対して、
片っ端からタブーをぶち破るかのような、
センセーショナリズムと覗き見主義で特ダネを連発しました。

しかし、問題もあります。

少なくとも4割は不当に傷つけている

まず、記事自体に書きトバシが少なくありません。

私は、同社の編集部隊を支える法務部の人に取材し
その考え方を書籍でインタビューという形でまとめたことがあります。
(『平成の芸能裁判大全』2003)
おそらく、マスコミ媒体では初めてのことだったと思います。

そのときの話で、名誉毀損裁判は「49訴訟で29勝15敗5分」。
昨今のプライバシー重視の傾向から考えると「高勝率」だと言っていました。

その後、勝ったり負けたりを続けているようなので、
厳密に計算はしていませんが、2012年現在では
だいたい勝率が6割ぐらいではないかと私は見ています。

この勝率が高いかどうかは、評価の問題なので人によりけりですが
問題は、6割勝ったのなら、4割は負けたということ。

名誉毀損というのは、事実であっても訴えられることはありえますが
原告の利益を考えれば、間違いやでたらめ報道だから訴訟となる
ケースが通常ですから、

少なくとも4割は、不当に人や団体を傷つけていることになり
訴えていない人や団体を含めれば、誤報、虚報はもっと多いかもしれません。

それが、日本で一番売れている週刊誌を擁する
伝統ある出版社の実態なのです。

誤解を恐れずに言いますと、
真実を明かすためには、訴訟を恐れてはならない
という考え方が書き屋にはあります。

そして、それは、間違いとはいえないのです。
というより、それがない書き屋は、
書き屋として一人前ではありません。

表現者でないと、なかなかこの辺の感覚はわかりにくいでしょうけどね。

ただし、それは、名誉毀損というものの定め方に抵触するけれど
表現の自由の中で、避けて通れないケースでの究極の選択であり

センセーショナリズムありきであったり、
相手を脅迫したり、否定したりといった「私闘」目的で
あってはならないと思います。

もちろん、間違いがあれば素直に撤回や謝罪をすること。

しかし、同社が敗訴のたびに、反省や再発防止をきちんと読者や
一般社会に向けて説明したことも約束したこともただの1度もありません。

今回の東電などは当然ですが、どこの企業だって、
自らの営みが社会・国民に迷惑をかけたら、
記者会見をしてコウベをたれ、調査委員会がなにがしかの報告をして、
どのくらいヤル気かは別として、
一応「これからはこういうふうに気をつけます」という発表があります。

マスコミがそれをしないのは、
表現の自由を特権と考えた言論機関の甘えだと私は思っています。

もっとも、
たとえ間違いがあってとしても、
フェアに、誰に対しても、どんな組織に対しても
等しく批判精神のペンを用意していれば
筋が通っているのですが、残念ながら同社はそうではない。

ここから先が、今回問いたいことです。
(長い前置きですみません)

文春ジャーナリズムの本性とは

消費税反対の青票を投じる直前の小沢一郎氏や
国政進出をうかがおうとする橋下徹氏に対しては
わざとその時期に(記事自体の信憑性だってわからない)
スキャンダラスな記事をぶち上げ

一方で、公約違反の増税やマニフェスト棚上げに
舵を切った野田佳彦総理については、
財務省にマインドコントロールされた言い分を
そのまま記事にしています。

野田佳彦総理だって
実弟の市議もそうですが
「政治とカネ」の問題があるのに……

仙石由人という代議士のセクハラについても同様です。

なぜ、こちらは叩かないのでしょうか

要するに、文春は
官僚帝国主義の保守国家を求めており、
その推進勢力に致命的な批判はしない。

しかし、官僚帝国主義の保守国家を目指さない
政治家や政治勢力に対しては、
右も左も保守も革新もなく、ときには黒のものもシロと
言いくるめるようなきたない論理まで使って強引に叩く、
ということです。

それが、文春ジャーナリズムの真骨頂です。
今、露骨にそんな編集方針があらわれていると感じています。

タブーを恐れず何でも批判しているようで、実はそうではない。

これは、池内了氏がいつも仰っている、社会の中の疑似科学という一面があると思います。

池内了氏や安斎育郎氏は使いませんが、「ニセ科学」といってもいいですけどね。

「文系」を哀れむ
自称「少数派」の
元モノマネタレント文化人さん

提案者の肩書きや権威を基準に真偽を判断する
“水商売”のセンセイ

私ごとき、ゴミクズ野郎の見解なんか信用できませんか?

少なくとも”水商売”のセンセイのブログでは
私の全理性を否定するとのコメントが
否定されませんでしたね。

いいのです、どうぞ好き勝手に
ケナしてください。

でもこれは、私だけの見解ではないんです。

昨年亡くなったジャーナリストの大御所、松浦総三氏は、
「『文芸春秋』の研究─タカ派ジャーナリズムの思想と論理」 (1977年)の編著があり、
それ以外にも折に触れて文春批判を行ってきたことで
知られていますが、

同氏によれば、同社が発表した
「田中角栄の研究」も、「日本共産党の研究」も、
根っこは同じで、同社の体質からして必然的に出てきた記事だといいます。

日本共産党はともかくとして、
田中角栄氏のような「保守」政治家をどうして叩くのか
疑問に思われるかもしれませんが、

政治に少し詳しい方ならご存知のように、
田中角栄氏は、「保守」としては異端であり、そもそも傍流です。

40代から50代の人には
木曜クラブ(田中派)や経世会(竹下派)は、
「政治は数」の理念で、陣地を広げたから、
さも自民党の中枢にいたかのように見られがちですが、
彼らは決して「保守本流」ではありません。

わが国における「保守本流」というのは、
親米、親官僚、タカ派、反共の4要件が揃わなければならないのです。

それは、自民党の綱領と、決めてきた長年の
政策を見ればわかります。

自民党派閥の中で、
それが全部揃っているのは……、
さあ、どこでしょうか?

同誌、というより同社が目指すのは、
保守本流が目指す新自由主義の応援団といっていいでしょう。

今回の小沢一郎氏や橋下徹氏らの「保守政治家」についても
「官僚帝国主義の保守国家を目指さない
政治家や政治勢力」だから叩くという点で
つじつまが合っています。

小泉純一郎元首相が、かつて「自民党をぶっ壊す」と啖呵をきっていましたが
実は壊したのは、(たとえば亀井静香氏など)「4要件」に合わない
政治家や政治勢力であり、実際には「ぶっ壊す」どころか
純化したのです。
これを詐術といわずになんと言ったらいいのでしょうか。

そのよしあし評価や、支持不支持は「思想信条の自由」で人それぞれですが
大手メディアである同社が
そうした方針の下に記事作りをしているということは
読者・国民はきちんと認識する必要があるのではないでしょうか。

つまり、きわめて強い特定の政治的意図のもとに
大衆世論操作を狙った
記事作りが行われている、ということです。

と、ここまで書くと、
また理系第一主義者はこう騒ぎ出すでしょう。

「オマエの政治観やメディア評論はたんなる感想文でしかない。
定量的に、数字や数式でその事態を証明しろ」と。

何でも数字で出さなければ合理的ではない、というのは
形式論理学から一歩も踏み出せない
古典的な理系特有の呪縛、
すなわちそれ自体が「ニセ科学」
でしかないと私は思っていますが、
いかがでしょうか。

といっても、その努力を否定するわけではありませんよ。

ただ、過去には、井上輝子(女性学)さんが、女性週刊誌について
合計ページ数という「量」で記事の傾向を分析する
「定量的」研究を発表したことがありますが
媒体の記事に対する意味は、少なくとも今回のようなことを
調べる場合、字数やページ数で明らかにできるのかどうかは疑問です。

まあ、もし何かいい方法があれば、ぜひご提案ください。

まずは、松浦総三さんなき今、誰かが
松浦総三さんの「文春研究」を引き継ぐことでしょうね。

大槻義彦さんが、板倉聖宣さんの役どころをいつの間にか引き継いだように

焼き直しやパクリでもいいから、それを今も継続することで
ジャーナリズムのはたらきを明らかにし続けるのです。

私自身は、その意欲がありますが
いかんせん能力に疑問があるので(涙)
力のある方がおやりになればいいと思うんですけどね。

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