ジャパンスケプティクスと「物理学帝国主義」の真相

   2016/02/21

物理学帝国主義
ジャパンスケプティクスの菊池聡氏から、『なぜ疑似科学を信じるのか~思い込みが生み出すニセの科学』をご献本いただき、前回はそのことで記事を書いた。その最後で、「菊池聡氏絡みで、ジャパンスケプティクスと物理学帝国主義についてちょっと書いておきたいことがある」と予告したので、今回はそのことについて書かせていただこう。

筆者は、疑似科学問題の解明は物理学帝国主義の立場から行ってはならない、ということを述べたことに対して、前回の記事「『なぜ疑似科学を信じるのか』(菊池聡著)思考について考える」書いたように、一部の方から猛烈な反発を受けた。

その「反発」の言い分は、そもそも「物理学帝国主義なんかない」というものであった。

しかし、ジャパンスケプティクスの記念講演で、「物理学帝国主義」という言葉を出して一部物理学者を刺激した最初の人は、菊池聡氏なのである。

というより、筆者にとってその問題意識はそこが始まりである。

事の起こりは1996年。ジャパンスケプティクスの記念講演(京都)において、菊池聡氏が質疑応答の中でそのような言葉を使ったところ、同会元会長の寿岳潤氏(天文学者)が、「私は物理学帝国主義者です」と居直るようにすぐさま反応。

以来、会において同氏は「物理学者」のスタンスを、いささか過剰ともいえるほど意識した発言をしばしば行い、物理学者と心理学者の対立があることを筆者は知ることとなった。
(対立というより、物理学者側の一方的なものかもしれないが)

無関係な筆者まで、寿岳潤氏から、心理学の類型論は科学といえるのかなどという議論を持ちかけられることが何度かあった。

すくなくともそれは、寿岳潤氏が筆者を議論の相手として認めてくれているのだろうから、それについては光栄だとしておこう。

だが、はたしてそのことが疑似科学批判と何の関係があるのだと正直、困惑したことも確かだ。

講演だけでなく、その後、その様子を載録した機関誌の校正をしているときも2人はやりとりがあった。

いや、そう書くと菊池聡氏は心外かもしれない。

一方的に寿岳潤氏が熱くなって続きをやりたがっていた、と書いておこう。

いずれにしても、超自然現象や疑似科学を各分野からゆっくり議論して真実に肉薄する会運営に、そのような「対立」はマイナスになったと筆者は思った。

だからこそ、その会を離れた筆者は、疑似科学批判において、そのような価値観や方法論を持ち込むようなことは謹んで欲しい、ということを言い続けてきたのだ。

ま、こう書くと、筆者が何を言ってもやっても気に入らない人は、そのような事実はないとか、筆者の話はバイアスがかかっているなどと否定するだろう。

が、その日の講演・シンポジウムのことだから、記録を見ればわかる。

出席もしていない者が、嘘だ、バイアスだ、というほうがよほど非合理であろう。

とにかく、この問題は、まるで筆者が感情的になって持ち出しているかのようにネットでは叩かれた。

この6年間、覚悟の上とはいえ、ずいぶんいやな思いをした。

オカルト・疑似科学批判などと意気込んでも、自分がムキになっていることの真相をたしかめようともしない。

それでよくも疑似科学批判などできたものだ。

というか、批判というスタイルのカルトなのだろう。

筆者を批判した方々は、もう少し調べてからにしていだきたかった。

事実と向き合わないことは、疑似科学批判者として失格ではないのか。

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