『脳が壊れた』からスケプティクスに高次脳機能障害を考える

 

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『脳が壊れた』(鈴木大介著、新潮社)という書籍をご存知だろうか。今回は、本書をスケプティクス(懐疑的)な視点で見ていきたい。41歳のルポライターが突然脳梗塞を発症し、一命は取り留めたものの軽度の高次脳機能障害が残った話が書かれている。「障害」とつくが、比較的わかりにくい障害であることを障害者本人の立場から書いている体験談として注目されている。

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そもそも、高次脳機能障害とは何か、ということから書く。

脳は、交通事故等による脳挫傷などの外傷、脳卒中や一酸化酸素中毒などによる低酸素脳症などで、その機能を失ったり死滅させたりする。

その部位や喪失程度によって、脳障害が生じる。

もっとも深刻なのは、脳死、つまり生命そのものの死である。

かりに一命をとりとめたとしても、遷延性意識障害(いわゆる植物人間)になってしまう場合がある。

遷延性意識障害の診断は、いくつかの基準があるが、要するに、自分の意志で自分の体を動かせないということである。

たんに手足や胴体だけでなく、たとえば追視といって、物体が動く方向に視線を動かすことができなかったり、嚥下といって、唾液を飲み込むことができなかったりと、基本的な動きができない。

重症な場合は、自力呼吸ができず、人工呼吸器が必要となる。

それらよりも、より「回復」した状態として、高次脳機能障害がある。

脳内部では新皮質といわれる部分に、動物としてのヒトがもつ本能(低次脳)以外の、認識する、判断する、創造する、などをつかさどる部分があり、そこが損傷するこである。

高次脳機能障害は、運動や知的な障害、いうなれば周囲にもわかりやすい障害として出るだけでなく、その人自身は経験しても、対外的にはわかりにくい障害もある。

たとえば、トイレで、手は届くのにトイレットペーパーが取れない。

服を着る能力はあっても上、着や下着を前後左右反対に着用する。

会話はできるのに感情の起伏が激しい。

記憶力、学習能力自体はあるが物忘れが激しい。

数字がたくさん並ぶ、高層ビルのエレベーターに乗れない(行きたい階の数字を選べない)

手の機能自体が失われているわけではないのに、わざわざ目的物から遠い方の手を使って物を取ろうとする

医学的に視野欠損は見られなくても、視野に入るものが正しく認知できない。

目は見えるのに、階段やエレベーターで一歩を踏み出すのが大変である。

要するに、本人からすると、そうなってしまう何らかの理由(障害)はあるのに、周囲からすると不可解な障害としてあらわれるケースが多い。

こうした、記憶や集中力、考える力などの異常、言葉の障害などはみな、高次脳機能障害である。

つまり、障害そのものが不都合なだけでなく、それが周囲に理解されにくい。

高次脳機能障害は重度も可視化しにくい

ということで、前置きが長くなったが、『脳が壊れた』である。

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脳梗塞になった41歳のルポライターが、見た目は「普通」の人と同じようにみえるほど回復したものの、外からはわかりにくい軽度の高次脳機能障害に悩まされるという体験談が書かれている。

脳梗塞は、頭の中の血管が詰まる疾患である。

脳の血管が詰まり、その先に血液が流れず脳の栄養や酸素が不足して、脳細胞の壊死がおこる。

脳が死ねば生命そのものが終わる。

つまり、脳梗塞そのものが命を脅かす症状である。

かりに生還できても、脳細胞の壊死によって寝たきり(遷延性意識障害)か、自力で動けても生活に支障をきたす障害が残る(高次脳機能障害)ケースが多い。

著者は、不幸中の幸いで、意識不明の状態から、その中でもっとも軽い軽度の高次脳機能障害にまで「回復」した。

しかし、高次脳障害の理解されにくい障害に悩んでいる。

たとえば、トイレに入ると個室に突然老紳士が出現したように見える。

これは、脳の右半分に障害を抱えているために、見え方に支障をきたしてそのように見えたものである。

といっても、「見え方」だから本人しかわからないし、もとより失明したわけではないから、周囲からすると、「なんで見えているのにちゃんと見えない」ということになる。

また、会話相手の目が見られなくなったり、感情が爆発して何を見ても号泣したりといった現象に戸惑うとも書かれている。

本書に書かれている不可解な症状は、高次脳機能障害がわかりにくい障害であること、当事者がそれにいかに困惑しているかがリアルに書かれている。

また、著者は、過去に取材した青年にも似たような症状があることを思い出し、発達障害ではなかったのだろうかと推理している。

これは厳密に言うと間違いで、発達障害というのは生まれながらの障害であり、高次脳機能障害のような中途障害と違い、その後のリハビリによる「回復」はむずかしい。

それと、もうひとつ本書の問題点を書くと、高次脳機能障害にしろ、発達障害にしろ、軽度の人ほど、「中度、重度障害はわかりやすいが、軽度は可視化されにくいから大変だ」という。

これでは、あたかも、中度・重度と軽度は性質の異なる障害があるかのようである。

これも誤解を生む表現で賛成できない。

すでに述べたように、そもそも高次脳機能障害とは、わかりにくい障害である。

そこに、軽度も中度も重度もない。

というより、それも含めての重度である。

すなわち、軽度の人に現れる可視化しにくい障害に加えて、さらにあまりにも重いのではっきりわかる障害もあるのが中度・重度なのである。

もちろん、人によって障害の出方はさまざまなので、ある軽度の人に出て、別の重度の人に出ない障害もないとはいえないが、おおむねそのような解釈で間違いないと思う。

この著者は、重度ではなかったから、重度のことがわからないのだろう。

もしくは、「軽度」だから「軽い」と思われてはたまらないという意識もあるかもしれない。

軽度・中度・重度というのは、あくまで高次脳機能障害における比較であり、障害それ自体が「軽い」わけでは決してない。

ここは誤解しないで欲しい。

いずれにしても、これまでの受傷記は、担当医や家族(親)の執筆が多く、本人の場合でも、自分からどう見えるからそのような動きになるのか、というところに踏み込んで詳細に綴ったものはないので、その点で価値のある書籍といえるだろう。

脳が壊れた (新潮新書)

脳が壊れた (新潮新書)

  • 作者: 鈴木 大介
  • 出版社/メーカー: 新潮社
  • 発売日: 2016/06/16
  • メディア: 新書

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