『福島県民お断り』原発反対でも「反原発」に同調とは限らない

 

『福島県民お断り』原発反対でも「反原発」に同調とは限らない
『福島県民お断り』という女子中学生の作文が3.11に話題となった。これは、福島差別を表現した作文である。では、差別を作り出しているのは何か。スケプティクス(懐疑的)の立場から言わせてもニウなら、原発反対でも「反原発」に同調とは限らない。いや、別に禅問答をしたいわけではない。「反原発」には、味噌も糞もあるという話である。

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2016年12月3日に『河北新報』に掲載された、宮城県女川町中学3年生の作品が話題になっている。

タイトルは、『福島県民お断り』。

福島県民お断り

『保育園落ちた、日本死ね』とは違い、著者もはっきりしていて、何より書かれている内容にリアリティがある。

つまり、右だの左だの、原発賛成だの反対だのにかかわらず、事実と道理を求める立場から受け止めるべき作文である。

だから、作品は仙台法務局長賞を受賞した。

仙台法務局長賞を受賞

前置きはともかく、さっそく中身をご紹介すると、避難地区になっている福島県南相馬市で小学校3年まで育った著者(当時小学生)は、東日本大震災と福島第一原子力発電所の事故で栃木県に避難したという。

ところが、そこで経験したのはトンデモない風評被害だった。

「福島県民お断り」と書かれたステッカーを貼った車を見たり、祖母の知人が熊本地震の支援物資を届けに行ったとき、福島から駆けつけたにもかかわらず「福島の物資はいらない」と拒否されたりしたという。

「同じ日本人なのに、どうして福島県から来ただけで、このような酷い言葉をかけられなければならないのでしょうか」と著者は嘆いている。

一方で、女子中学生は小学校5年生になり、宮城県女川町に転居。

ここは津波で家や家族を亡くした人がたくさんいたので、同町の小学校では、自分を温かく迎えてくれたという。

つまり、著者は人間の「偏見」と「共感」を短期間のうちに経験したわけである。

そこで著者が学んだことは、「あの人はテストの点数が悪いから頭が悪い」とか、「あの人は口数が少ない人だから暗い人だ」など、ちょっとした偏見で他人を見ることが、無意識のうちに人を傷つけるということを忘れてはならない 、ということである。

この結論は、もはや福島問題にとどまらず、人間や社会の評価につながる普遍的な命題である。

科学的に考えるのか情緒的に結論を出すのか

なぜ風評被害が起こるのか。

それは、いろいろな方面から考える事はできる。

ただ、その前に、スケプティクス(懐疑的)の視点から見ると、この問題の本質は、原発推進派と反原発の対立、ではないように思う。

なぜなら、それは、それが真面目な論争なら、事実判断による意見の対立だからだ。

そうではなく、科学と観念の対立を、スケプティクス(懐疑的)には深刻視したい。

具体的には、一見同じ旗を掲げているように思われる「反原発」の中の2つの潮流の対立である。

ひとつは、科学的な見地から原発再稼働に反対する立場である。

もうひとつは、逆に反科学の立場から原発を否定する立場である。

2つは、本来全く相容れない。

後者の中には、食品添加物、電磁波、水道水、この世の中のありとあらゆる叡智について頭から危険煽りをしている人たちが混じっている。

筆者は、少なくとも風評被害の一端は、この反科学的な「反原発」の潮流にあると考える。

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たとえば、『美味しんぼ』の鼻血問題がそうである。

『美味しんぼ』によると、福島は鼻血が出て、放射線被曝によって全身倦怠感を生じるという。

しかし、全身倦怠感を起こすに至る被曝量は1000ミリシーベルト程度といわれており、感受性の高い人でも200ミリシーベルト程度以下では起こりにくいといわれている。

『美味しんぼ』の原作者は、この点について最後まで誠実に合理的な根拠と事実をあげて説明しなかった。

また、福島産最高級小麦「春よ恋」の麺で作ったTOKIOのラーメンに、ミステリー作家が暴言ツイートを繰り返し炎上した騒動もそうだろう。

「福島の小麦から作った麺なのかよ。人殺し。」
「TOKIO。気違いが福島で米を作っている。」

などとミステリー作家はツイートした。

しかし、作家を名乗るのなら、そもそもそのような汚い言葉を使っている時点でまともではない。

日本の自然被曝は、年間平均2.1ミリシーベルト。

医療被曝は年間平均3.9ミリシーベルトでといわれる。

つまり原発事故がなくても、私たちは年間平均6ミリシーベルト被曝していることになる。

「不要な被曝」の「追加線量限度」

よくいわれる「年間1ミリシーベルト」というのは、6ミリシーベルトとは別に、原発事故由来など「不要な被曝」の「追加線量限度」として国際放射線防護委員会が定めた数字なのだ。

アクシデント用なのであり、1ミリシーベルトを超えたからもうアウトだ、ということではない。

北欧は、自然被曝だけでも日本の3倍あるといわれている。

日本の「追加線量限度」を加えた全被曝量を、自然被曝だけで超えてしまうが、北欧がそのためにがんが多いというデータは存在しない。

もちろん、「しきい値」は「がまん値」であり、数字の問題ではなく、不必要な被曝は避けるべきである。

ただし、だからといって、無原則にキケンキケンと煽ることは科学的に正しくない。

日本では、「フクシマ危ない」の大合唱が、6年にわたって行われてきたわけだ。

それは、福島の人々はもちろん、別の地域にいる人たちでさえ、神経を使わさせることとなった、

「福島産は危ないから食べないようなしよう」と気をつければ、福島に住んでいなくても精神的に大変だろうが。

食べ物に含まれる線量というのは、福島産であれ、どこか西日本産であれ、放射性物質が含まれていないものは皆無なのである。

もちろん、合計7ミリシーベルトまでは絶対安全だということをいいたいのではない。

被曝量としては「がまん値」においても少量(1ミリシーベルト)な「不要な被曝」の「追加線量限度」を、そうやって長きに渡って気にしすぎる方が、医学的にはよほど深刻だといいたいのである。

たとえば、福島では、甲状腺がんなどの調査を被爆してすぐに始めたが、そもそもがんがそんなにはやく出るはずはなく、出るとしたらそれは事故由来ではない。

かりに、事故由来を疑えるだけの年月が経っていたとしても、それが事故そのもの由来なのか、心配し過ぎの交絡因子に拠るものなのかは、わからなくなってしまうだろう。

食品添加物であれ、電磁波であれ、よくいわれるのは、「事態を侮らず、過度に恐れず、理性的に怖がる」ということ。

それはまさに、今回の福島原発事故にいえるのではないだろうか。

もう、科学的根拠を無視したキケン煽りは、いい加減やめたらどうだろうか。

原発事故の理科・社会

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  • 作者: 安斎 育郎
  • 出版社/メーカー: 新日本出版社
  • 発売日: 2012/09
  • メディア: 単行本

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