久我山青光学園、平成22年開校の知的・視覚障害者支援学校を見学

 

久我山青光学園、平成22年開校の知的・視覚障害者支援学校を見学
久我山青光学園(東京都世田谷区北烏山)の学校公開に参加した。同校は、我が国で初めて、視覚障害教育部門と知的障害教育部門を併置した特別支援学校として、平成22年に開校した新しい学校とされるスケプティクス(懐疑的)な立場から障害児教育について見ていこう。

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冒頭に、「我が国で初めて、視覚障害教育部門と知的障害教育部門を併置した特別支援学校」と書いたが、これは旧・久我山盲学校と、旧・青鳥特別支援学校久我山分校が統合してできた都立の特別支援学校である。

久我山青光学園

要するに、2校が1校になったにのである。

メガバンクならぬメガ支援学校か。

それはともかく、「視覚障害教育部門と知的障害教育部門」と書いたように、本来は、知的障害と、視覚障害は別個の障がいである。

さすれば、教育カリキュラムもかわってくる。

では、実際にどのような教育を行っているのか。

今回は、視覚障害の学級を見ていこう。

まず、視覚障害の支援学校は東京都内に5校しかなく、そのうち1校は高等部しかない。

絶対数が足りないのである。

これは、主に石原都政の責任になるが、残念ながら対抗する「反自民」なる勢力も、支援学校を増やすことを公約にはしてこなかった。

それはともかく、そのため、同校では通学地域を都内全域としており(知的障害教育部門は世田谷区のみ)、自宅から学校まで片道1時間以上かけて通学しなければならない児童・生徒には、寄宿舎が設置されている。

次に、視覚障害教育部門は、普通学級と重度・重複学級とに別れている。

視覚障害自体は、視覚「のみ」の障害であるから、知的水準は普通学級とかわりない。

だが、同校に限らず、特別支援学校は、いわゆる一条校ではなく、すなわち学校教育法上の「学校」ではない。

各種学校と同じ扱いである。

つまり、同校を含め特別支援学校の高等部を卒業しても、「高卒」の学歴は得られない。

学歴は、就職や資格試験でネックになる場合がある。

しかし、実際には知的障害ではない限り、文部省の教科書検定を通った教科書、要するに健常児が行く学校と同じ教科書を使っている。

特別支援学校の扱いには、そのような矛盾があることは知っておいて欲しい。

それはともかく、実際の授業は、学校案内の転載を見て欲しい。




以上、学校案内より

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以上、学校案内より

その他、白い紙では眩しくて書かれた字が読めないので、黒い紙に白いペンで書く「ブラックノート」

シリコンの上にトレーシングペーパーのような紙がかぶせてあり、文字を書くとその線が浮き出るので、触ってそのかたちがわかるようになっている「シリコンノート」

玉が動いてしまわないように、固定できるようになっている「固定されたそろばん玉」

片方の面にでこぼこが刻んであり、触って裏表がわかるようになっている「触って裏表がわかるオセロ」

手に持てるサイズの機械で、モノの上に乗せるとその色を音声で教えてくれる「色を音声で教えてくれるカラートーク」

といったものもあった。

目が見えないのに、オセロができるのか疑問に思うかも知れないが、盤面がすべて頭の中に入っており、支援学校合同のオセロ大会では全盲の子が優勝することも珍しくないというから驚きだ。

また全盲の場合は、色は言葉でイメージさるという。

たとえば、空の青、木の緑、夕焼けの赤、など言葉を尽くして、色のイメージを作り上げる。

触覚、聴覚、嗅覚など、ありとあらゆる感覚を総動員して教育にあたるそうである。

「だからやりがいがある。教師を目指す方には盲学校をおすすめします」との説明も、けだしうなずける。

人間は、情報の8割を視覚で取り込んでいるそうだ。

その8割が失われた子に、どうやって情報を伝えていくか、教員の能力と情熱が求められ、試される場である。

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